東大駒場キャンパスの美術館で行われている展覧会に行って来ました。
錯覚-心の働きにせまる不思議な世界
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ちなみに情報源は「だまし絵・錯視」コミュ

http://mixi.jp/view_community.pl?id=18928

そろそろ秋の気配かなって気がしていた今日このごろ、
いきなり真夏に逆戻りしたような陽気の中、駒場野公園でおにぎりを。
テニスコートからボールがフェンスを越えて飛んできて、
それを拾った幼稚園くらいの女の子2人が「これ」と言うので
一緒にコートに返しに行ったりと、ほのぼのシーンを交えつつ。
東大駒場キャンパスって初めて行ったので、
というか駒場東大前 駅で降りたのも初めてで、変な入り口から
キャンパスに入ってしまい、学生に混じってウロウロ。
さすがに学生とは思われてないだろうな〜
でも40歳くらいの学生らしき人もいるから、異常ではないか。
ひとしきりウロウロした後、やっと美術館にたどり着きました。
展示はあまり飾り気がなく、会場も展示もこじんまりした感じ。
でも作品はかなり楽しめました。絵に近寄ったり離れたり・・・
聴覚の錯覚を起こすものもあり、
ヘッドホンをして思わず「うぉ」とか声を出してしまったりもしました。
見えないものを補ったり、見えてるはずのものを認識しなくなったり、
メカニズムが解明されていない現象がほとんどみたいなんですが、
脳の勘違いって面白いな〜。
見えてるもの、脳の自動処理、脳が勝手に作り出すビジョン、
それが人間以外の哺乳類でも同様の現象が起きているらしいこと、
色々考えさせられる展覧会でした。
他にももっと見たいという方はこちら

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=896639&page=all

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みなさんは、思いこみや勘違いに気づいたことってありますか?
ずっとB型だと思ってたのに実はA型でビックリ!
でも自分でB型だと思って生きてきたから混乱するとか・・・w
偏見や先入観は良くないですが、経験則がなければ生きていけないのも
事実で、思いこまないように努力するのは難しいものですよね。


【あすとろぐらす】
経験則のこと、ちょっと書きますね☆
最近思ったんですが、経験的にこうしたらうまくいったorいかなかった、という行動が、自分の中のポリシーや希望と違ったりします。
特に人間関係においてなんですが、恋愛関係も含み、自分はこうしたいけど、こうしたほうがうまくいくっていう状況が多いです。
自分はこうしたいけどっていうのは、自分のわがままや自分の都合というわけではなくて、自分だったらこうされたいとか、こうしたらハッピーっぽいのにな〜というものなんですが・・

だから私は結構、社会生活してる時はかなり客観視して生きてしまうところがあります。恋愛も、うまくいってる時もそうでない時も、頭とか経験則に基づく感覚で動いてしまいます。それを繰り返してるうちに、自分の本心(どこまでを本心ととるのかも難しいところですが)、ここでは感情とかがそれに近いのかもしれませんが、それとギャップが徐々に大きくなってきて破たんする気がします。恋愛の末期なんて理性と感覚と感情がいりまじり。いろんな自分に出会っちゃうし、何が正しいのか分からなくなってきちゃいます。
なんかすごい方向に展開しちゃいましたが^^;
このへんをうまくリセットしたり、器用に使いこなせるように成長できればいいんですけどね〜★


経験則の話、難しいですね。 奥が深い問題だと思います。
あすとろさんの言う「経験則」には、「普通はこうする」とか
「皆はこうする」とか、世の中全般的なものも含まれますかね?
あくまでも自分自身の経験に基づく法則でしょうか?
立場や役割だけの形式的な付き合いだったりすれば、ある程度は
問題ないというか、むしろ適応力があると言えると思うんですが、
恋愛など自分の心の動きに近い関係だと、辛いかもしれませんね…
ただ、いくら恋愛関係であっても意志が完全に一致することは
稀なわけで、差異は常にあると思います。
どちらが正しいとかじゃなくて、純粋に「違い」があるだけですけど。
理想主義的なことを言わせてもらえば、
その「違い」を、感情的にならずに静かに語り合える関係が、
本当に成熟した関係じゃないかな、という気がします・・・
ま、恋愛じゃなくても、それこそ文化や宗教でもそうですけどねw
だからまたちょっとエラそうになっちゃうかもしれませんが、
そういう違いとか、ちょっとした気持ち・考え・違和感などを、
そっと差し出しても関係が壊れないくらい、根底にしっかりとした
信頼があるような関係を結べれば最高ですよね。
あすとろさん自身、相手が誰であっても心が分裂しちゃう人では
ないと思うので、上のようなことを「言える関係」を育てていくのが
良いのではないでしょうか。
当たり前のことばかり書いてすみません。
でも言うのって怖いですよね。少しずつ試しながら、どうしても
ダメならその人に執着しない方が、自分が楽かもしれませんよ。
ただ僕自身もわりと八方美人的に調子がいい所があるので、
色んな人の意見に共感してるうちに矛盾がたまってきてアレー?
となることは良くあります^^; 影響されやすいしw
その場その場はできるだけ誠実でありたいと思ってるんですが…
なにしろ忘れっぽいもんで。メモしとかないとw
ところで、リセットしたり器用に使いこなせるようになる必要は
まったくないと思いますよ。苦しくなるだけです。
小出しに言える自分と相手を育てるしかないと思うのです、ハイ。
表面的付き合いの相手なら言わずに飲んで忘れてもいいんですけどw
真剣に付き合いたい相手に歪んだ自分で適応しても、それは
本当は相手も望んでいないだろうし、そんな幸せ、錯覚でしょう。
おっ上手くまとめた!?w


【あすとろぐらす】

私の言う経験則は、自分が世の中の一般則を体験してできてきたものです。なので両方かな?

違いを静かに語り合える関係って、理想的ですよね☆
大人な関係っていう感じ。確かに、文化や宗教もそうですね/
私は恋愛以外だったらそれが実践できてるかなと思いますが、
やっぱ恋愛は心に近すぎて、冷静に判断しても、心が追い付かないことがありそうですね。

ちょっとした気持ち、考え、違和感をスムーズに伝えられる信頼関係。
すごい理想ですが、こうなってくると、信頼について考え込んでしまいます。
Q.よく、相手をもっと信用すべき、とか言いますが、
信頼って、自分が信じようと思ってするものなんでしょうか?
私は、恋愛だけでなく社会生活をしているなかでも、相手と接して色々作業をしたり、相手の行動を見ているうちに、自然と「この人は信頼できそうorできなそう」っていうのができていくものなんじゃないかなと思うんです。

なんかこども相談室みたいになっきてますがw
かしおさんの考えをきかせて下さい/

話戻りますが、リセットしたり使いこなせるようにならなくていいんでしょか。
気持ち的にすくわれますが、リセットできないとどんどん苦しくなる気もします・・
歪んだ自分であつき合っていきたくないですね。
錯覚に陥らないように頑張りますw


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信頼関係は、相手との交流の中でしだいに形作られていく、というのは
僕も同じです。
「信じて」と言われて信じるのは難しいと思います。
「信じようと努力する」ことしかできませんよね。
「信じることに決める」なんてこともできますけど、それもちょっと
柔軟さに欠けて思考停止かなって気もするのですが、詳細はあとで。
信頼関係が築けたとして、この先も大丈夫だと思ったとしても、
それは過去の経験から未来を予測しているだけのことで、
それこそ経験則ですよね。良くも悪くも。
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相手のことをよく知っていて、信頼できると思っているのに
どうしても不安を感じてしまうというのは、
同じような状態/信頼関係で、ひどく裏切られた経験があるのかな、
と推測されます。まぁ、ありきたりかもしれませんがw
信頼することに臆病になっているということですが、
言い換えれば不安を感じるのは一種の防衛行動であり、
裏切りが起きた時に「やっぱりね」と言って自分を守りたい気持ちがあり
経験則は自分の人生を裏付けるものですから簡単には覆せないわけで、
変な言い方になりますが、不安という形をとって表れた
「経験則/これまでの自分」を守ろうとすることは、行き過ぎれば、
信頼関係が壊れるのをどこか期待している部分がある、とも言えるかな
と思います。
しかし実際にそうなれば、裏切られる経験則が補強されるだけで、
ますます臆病になってしまいますよね。
その悪循環を解消するのは、自分の経験則を吹き飛ばしてくれるような
圧倒的な経験しかないのではないかな、と思います。
あるいは環境を大きく変えるか、自分の考え方や行動様式を大きく
変えて、今までの経験則を自ら否定するチャレンジを試みること・・・
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いずれにしても相手との関係の中で展開されることですから、
ハッキリとした原因が説明できないとしても、
自分がどのように(何を)感じ、どのように行動しようと考えているのか
それに関して相手にも協力を求めるのか、静かに長い目で見守ってほしい
のか、ということを相談して理解してもらう必要があると思います。
前に書いたことと少し食い違いますが、
そういう「言う努力」をすることで、信頼関係を築いていくしかない
のではないかな、と。
前に書いた順番と逆ですが、まぁ相互作用だと思うので許して下さいw
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僕について言えば、相手のことを盲目的に信じるということはないです。
もちろん親しい人と信頼関係を結べることは嬉しいし、
そうなれるよう努力もしますけど、
関係って常に揺れ動いているものだと思うので、
資格みたいに「信頼関係を取得」って感じでw、その先は
安定した信頼関係が永遠に続く、というイメージでは捉えていません。
信頼できるとしても、それをそのまま長期的に未来に期待はしていない、
というか。
むしろ僕は「現在の」お互いの関係が本当に良いものであるかを
確認する、そのためにコミニュケーションを取ることに心を砕きます。
どんな通い慣れた常連の店で、
僕の性格や味の好みを分かってくれている店だとしても、
今日の僕がどんな状態で、サッパリしたものを少し食べたいのか、
こってりしたものをお腹いっぱい食べたいのかまでは分からない、
というような感じです。
長期的には味の好みも変わってくるし。
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こういう感覚の根底にはやはり僕の人間性があり、
無常感とか諦念みたいなものを強く持っていて、
どんなものもいつか離ればなれになってしまうとか、
人と人は完全には分かり合うことはできないと思っている、
少しさみしい感性があります。
人間は愚かさ・弱さと共にあると思っているので・・・
性悪説ならぬ性”弱”説とでも言うんでしょうか。
人に対して完璧な感情を求めたり、多くを期待しないので、
期待しすぎてそれが満たされなかったために信頼を裏切られたと感じる、
ということは少ないかもしれません。
もちろん人が僕のために何かをしてくれたり考えたりしてくれるのは
とれも嬉しいですが、僕に失望したり、興味がなくなったり、
あるいは他にもっと魅力的なものを見つけて去ってしまったとしても、
それは起こりうることで仕方がないと思っている所があります。
「あなたは あなたで 一生懸命生きる。僕は僕で一生懸命生きる。
 その中で楽しい時間を一緒に過ごせたらいいね」
というのが僕の基本姿勢でしょうか。かっこつけすぎかな。
分かり合えないからこそ、通じた瞬間が輝かしいんだと思うんですが。
もちろんこういう考え方も、もしかしたら一種のずるさで、
傷つかないように自己防衛しているだけなのかもしれません。
あるいは、本気で人と関わることを恐れているとか・・・
人によっては、僕がまだ愛というものを知らないのだ、とか何とか
言うかもしれませんね。
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繰り返しになりますが、僕にとっては、
その瞬間に良い関係を持てているかどうかがとても重要で、
お互いにそういう気持ちでコミニュケーションをとる努力をしていれば
自然に長く続く関係が育っていくだろうという考えです。
そもそも「うまく行く」ことが至上の目的じゃないですからね。
気が合うからうまく行くのであって、もちろん譲り合いは必要ですが、
「うまく行く」ために本心を隠したり必要以上に我慢したりということは
本末転倒のような気がします。
もっと強い言葉で言えば、それは欺瞞と呼ばれるものに近くなるように
感じます。
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ちょっと話は飛びますが、
「墓参り」日記のところで書いたことで、結婚について。
そこでは世間一般にある「原型」のようなものが強く作用するので、
自分の本心に忠実になることよりも、自分の親兄弟や相手方との関係など
周囲が「うまく行く」ことを重視するために、
当事者が犠牲になることが起きやすいと思います。まぁこれは脱線。
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リセットしたり器用になる必要はないと書いたのは、
「うまく行く」ために本心をないがしろにするのは良くない、と
思ったからです。
好きなだけ食べて全部吐くダイエットみたいというか・・・
一見うまく行っているように見えても、本当は不自然なことだし、
それに慣れることは、心の奥の方に歪みを蓄積させていくことで、
長い目で見れば自分のためにならないと思います。
小さな事をいちいち相手にぶつけると、お互いに擦り傷やアザくらいは
できるかもしれませんが、次第にお互いのペースを合わせられるように
なっていきますよね。
「言う」瞬間は怖いかもしれませんが、心の奥底に静かに
放射線を照射し続けるような恐怖よりは、僕は良いと思います。
地震のメカニズムのように、いつか歪みが爆発したら
(それは必ず起こると僕は考えますが)、
自分と相手との関係はいったい何だったのか、
自分の人生とはいったい誰のためのものだったのか、
という絶望的な気持ちになると思われるからです。
全ては錯覚にすぎないとしても、
それを飲み込んで生きていけるほど人間は強くない、と
僕は思うわけです、ハイ。
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ちょっと補足的になりますが、ここに書いたのは
あくまでもエゴイストである僕の考え方で、
他の人や愛する人のために自分の人生を捧げることが本心、という方を
つかまえて「本当は心に歪みが〜」なんて耳元で囁くつもりはないですw
自分のエゴを超えていくような大きな目的や、
人のために自分自身を投げ出すということは勇気のいることだし、
そこに嘘がないなら本当に素晴らしいことだと思っています。
それは僕にはできない生き方だというだけのことで。
長くなりましたが、あすとろさんへの回答になってるでしょうか。

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