今日は祖母の七回忌のため親戚が集まりました。
普段なかなか顔を合わせない、母方の親戚一同。
いとこ達が、それぞれに成長していて面白かった。
ポッチャリしてたのに、スラッと背が伸びて男っぽくなってたり。
もう1歳半になる子供を抱いて、少しだけ”母”の顔になってたり。
社会人になって化粧が大人っぽくなってたり。
逆に叔父さん叔母さん達はずっと変わらない感じで、不思議な感覚。
まわりから見たら僕も雰囲気が変わっているんだろうなぁ。
実は半年ほど前から、墓参りをしたいなと思いつつ過ごして来て、
でも実際はなかなか時間をとれずにいたので、良い機会でした。
親戚が集まると、目鼻立ちや背格好など、
誰が誰に似てるという話が必ずと言っていいほど始まるもので、
前はそういう話題には興味が湧かなかったものだけど、
このごろは少し素直に聞けるようになりました。
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血縁というものは本当に不思議です。
外見だけでなく、動作やちょっとした癖なども受け継がれます。
感覚や才能といったものも受け継がれています。
自分の内面や、仕事、人間関係のパターンなどについて考える時、
自分では「単独で唯一の自分自身」のことを考えているつもりで、
実は自分という存在へと繋がる血縁に思いを馳せているのかもしれない。
誰もが、過去から未来へと何かを伝えていくパイプのようなもので、
その時間軸を無視して「単独の自分」だけを覗き込む行為には、
本当は意味がないのかもしれない。
こんなことを考えていると、
自分のエゴは少し抑えて、謙虚に自分を律したいなと思ったりします。
と同時に、かなり東洋的と思われるこういう発想は、
「自分自身に重要な意味や価値を見い出せなくても構わない」という、
奇妙な安心感を与えてくれるような気がします。
とはいえこれは僕の考え方。
念のため書いておきますが、特定の宗教団体とかとは無縁ですw
さて、もうじき、お盆になります。
みなさんはお墓参りをしますか?
自分の家族や先祖についてどんな考えをもっていますか?


墓は欲望の終着点みたいな所だと書きましたが、
僕の持論として、結婚や、子供を産み育てることとかって、
個人の自由意志でやってるようで、実は「親」「家」「家系」
みたいなものの強い影響の下にあるような気がします。
自由意志が家系に回収されるというかね。
だから予定調和の亜種みたいな逆転現象が起きたりする。
本人達が結婚したくてしたのに、親に「子供はまだ?」と言われたり。
血を受け継いでいくことに対する「あるべき原型」みたいなものが
あって、明るく健康で子供を産み育てる、といった原型のせいで
そうではない人たちは必要以上に苦しんだりもする。
不妊とか障害とかジェンダーとか。
それは周囲から押しつけられる原型だけじゃなく、
自分の中の原型にも同じように圧迫されるんだけど。
死んだら墓に入る、生きてる間は墓を守る、というのも
そんな原型のひとつではないかなと思います。
子供を産み育てるのって、実は、死後の自分の面倒を
見てもらいたい気持ちの表れである部分もあるような気がします。
結果的にはね。これも逆転現象で。
ただ、昔から「あの墓には絶対に入りたくない」と思いながら
死んでいった人って、結構いたのではないかと想像されます。
でもほとんどは強制的に「あの墓」に入れられて来たわけで。
墓に入る/入れない/入れてもらえない、ってテーマだけで
小説かけそうなくらい、そこにはドラマがあるものですよね。
このごろは海に散骨するといった方法も、
選択肢のひとつとして受け入れられてきた感じもするけど。
でも本人の希望が散骨なのに子供が「それじゃあ寂しい」とか
言ってほんの一部だけ散骨してほとんど墓に入れたり、
墓って本当に、最後のギリギリのエゴが発動しちゃう場所です。
このページの日記部分では「受け継ぐこと」をわりと肯定的に
書いたけど、それはやっぱり呪いでもあり、似たくない部分や
イヤな部分が、どうしようもなく自分に受け継がれている、
というのは苦しいですよね。
それを受け入れていく過程が、いわゆる「大人になる」という
ことなのかもしれません。