何かが足りない

イヤホンが壊れてたので、
なにげなく安いのを買ったんだけど・・・これがひどい代物で。
低音に深みがないし、高音はキツいし、広がりもない。
前のをリピートしておくんだった。安物買いをしてしまった。


カラオケボックスの音源でも、時々ひどいのあるけど。
そこにあるのは記号化された音楽なのだ。
間違いじゃないけど、うまみも無い。
こういうことは他にもある。
レシピ通りに作られてるけど、美味しくない料理。
求められる役割はこなしてるけど、信頼されない人。
そこには何かが足りないのだ・・・でも、いったい何が?

存在の生き生きとした粒子

良いヘッドホンで音楽を聴くと、耳の中で
「音のつぶ」が感じられる。
美味しい料理を食べた時には、舌の上で
「味のつぶ」が感じられる。
この、存在の生き生きとした粒子を感じられるかどうかが、
人が「豊かさ」を感じられるかどうかの基準なのだと思う。
でも「存在の生き生きとした粒子」って何だ?

ロゴスとエロス

生と死について、あるいはエロスとタナトスについては
以前からことあるごとに考えているんだけれど、
「母子像(エロス)」「父子像(タナトス)」2008.4)
このごろ僕をとらえているアイデアは、以下のような、ねじれを含んでいる。


生へ向かうエネルギーと、死へ向かうエネルギーは、次のように分類される。
生          ←→ 死
エロス        ←→ タナトス
リビドー(生への欲望)←→ デストルドー(死への欲望)
ホメオスタシス    ←→ トランジスタシス
自己肯定       ←→ 自己否定
連続         ←→ 非連続・変化


一方、連続するものと、断続的に続くものは、次のように分類される。
内容(肉・内骨格)  ←→ 構造(骨・外骨格)
律(メロディー)   ←→ 韻(リズム)
パトス(情)     ←→ ロゴス(理)


ねじれを含んでいると書いたのは、
2つ目に挙げた分類は、
それが「続いていく」という意味で、生へ向かうエネルギーなのだが、
構造・リズム・ロゴスは「断続」であり、
その中に「停止」すなわち「死」を含んでいるからだ。


power.jpg

リズムは「有る/無い」の状態を断続的に繰り返すことで成立する。
ロゴスは、論理ユニットの連結によって
部分としては堅牢な構造でありながら、全体としては変化することができる。
(ロゴスの意味は、理想や世の中の理のことではあるが、
 ここでは「○○は××である」という論理的思考の構成単位という意味で使っている)


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logic_group.jpg

メロディーとリズム

メロディーとリズムがあって音楽が成立するが、
そのどちらが先にあるのかを考えている。
最初、リズムがあってメロディーが乗ると考えていたけれど、
メロディーは「連続」、リズムは「断続」であり、
世界はもともと巨大な連続体だと考えると、
先にあるのはメロディーなのではないかと思えてきた。
言葉が世界を「分節」して認識するように、
大いなる客体としてのメロディーを、
リズムで切り刻んでいるのが、音楽なのではないか・・・?

ロゴスによるエロスの分節

理性・言葉によって世界を認識するならば、
言葉にできないもの、分節できない連続体は
認識の対象にのぼらず、存在しても気付かれることがない。
しかしエロスは、言葉や論理の構造の中を
自在に動き、はみ出し、越境していく。
(ここではエロスを、存在するもの自体が存在しようとする力、
 あるいは生命力・存在感のような意味で使っている)


骨格を作った方が、粘土細工を立体的に作れるように、
ロゴスがあるから、エロスの活動範囲もまた広がるわけで、
両者は一体となって世界を作っているはずなのだが、
理性と言葉の勢力が圧倒的な状況では、
その「見えない力」は、あたかも存在しないかのように扱われる。
だけど、よく注意していれば、
そういう力があるということは、誰にでも分かるはずだ。
例えば、生命力としてのエロスの、科学で解明できていない部分。
呪術の心理的効果や、言霊・生き霊、
いったん心拍停止した人間が生き返ることもある等(停止がすなわち死ではない)。
エロスのうち、ロゴスをはみ出すものが、
ここで僕が語りたいと思っている対象だ。

マイナーパワー

マイナーという言葉が一番しっくり来るのだけれど、
これが正しい表現かどうかは分からない。
しかし、サブやアンチではないことは確かだ。
正に対して、副でも反でもなく、
ただいつの間にか、にじみ出してくるもの。
筆でさっと墨をひいたあと、遅れて出てくるにじみ。
話が終ったあとに、漂う余韻。
輪郭からにじみ出るもの。
マイナーパワー。


それは気(気功・空気・雰囲気)であり、
機(機前/合気・機会)であり、
霊や天使と呼ばれているものにも通じている。
たぶん、存在と存在の間にある、媒介物のようなものなのだろう。

何かを語るには、その名前を呼ぶだけでは不十分だ

そこに漂うものを捉えずに、何かを表現したと考えることは、
タンパク質と炭水化物について語っただけで、
あるいはカロリー数値について語っただけで、
食を語った気になるようなものだ。
味がなじむということはどういうことか?
寝ている間にカレーは何をしている?
パン生地が発酵する時に失うものは?

マイナーパワーはどこで働くか

マイナーパワーの主役は時間だ。
そこでは時間が、何らかの役割を果たしている。
部屋に音楽を流せば、雰囲気は確かに変わるのだ。
それは音楽が、時間の流れをより印象的に知覚させてくれるからだと思う。
「存在の生き生きとした粒子」すなわち
マイナーパワーが宿しているものこそ、
余韻であり、雰囲気であり、
人生の味わい、世界のうまみ、存在の機微なのだ。

世界と知覚

嗅覚は記憶に訴える。
知っている香りがふと鼻先をかすめ、忘れていたものを思い出すことがある。
その場にいた人たち、太陽がどんなだったか、触れていたものの温度まで。
聴覚は、論理に訴える。
複雑な図表をいきなり見せられても理解できない事柄も、
順を追って口で説明してもらえると分かりやすくなることがある。
そして視覚は、感覚に訴える。
テレビ・インターネットをはじめとする視覚メディアが発達した現代で
人々が感覚を重視するようになるのは必然なのだ。
(「〜な感じ」という表現を使わずに1日過ごしてみよう)
ただし視覚が信用できないことは、様々な錯覚や手品のトリックが示している。

感じられるもの、語ることのできるもの

僕は、人間の最大の敵は、思考停止だと思っているので、
安易に「考えるな、感じろ」と言ってしまう態度は大嫌いだし、
すぐに「言葉にできない」なんて言う人は信用できない。
だけど、考えて考えて考えて、それでも思考から逃げていくものが、
言葉にしようと何度試みても、すり抜けていくものがあることも確かだ。
人はパンのみにて生きるにあらず。
表現はロゴスのみにて成らず。


しかし、神秘主義に陥ってはならない。
それを飯のタネにしてる連中がいっぱいいるからね。
マイナーパワーは、
目には見えないし、言葉にもできない。
しかし「見えないもの」に
「見えないもの」という名前を与え、
特定の言語体系の中で機能させようとするならば、
それはすでに欺瞞である。
マイナーパワーは消失する。
(マイナーパワーという名前も仮のものだ)


目に映るものに、惑わされてはいけない。
名付けられていない世界は存在する。
それについて、言葉で完全に語ることはできない。
それを感じる者は、世界を知る者。
それを味わう者は、人生を楽しむ者。
ただ目を閉じて、感じよう。