ここに、濾過生物というものがある。
体は筒になっていて、
一方の端から食物を摂り込み、一方の端から排出する。
彼のまわりにあるものは、ほとんど全てが食物になる。
土の中にいるミミズを想像してもらうと、もっとも近い。

彼に与えられる役割を、彼は黙って受け入れる。
彼の中の空洞を、色々なものが通過していく。
与える側は、彼がどんなことを考えながら、
どんな気持ちで取り組んだとしても、
望んだ結果を作り出してしてくれれば構わない。
「心なんて必要ない」のだ。

ある時は人間として、ある時は男として、
社会人として、大人として、指導者として、
父親として、学徒として、軍人として、捕虜として・・・
受け渡されたものを、
自己の表現としてではなく、果たすべき役割として、
次に受け渡すものへと変化させ、繋いでいく。
いや、実のところ、
彼自身がなにかを変化させ、生み出す必要はないのだ。
彼は空洞をもつ筒として、ただそこに存在する。

主張する意志に迷いがなく
ロジックが、抜けも重複もなく頑強に組まれているならば、
語り手は、相手を説得しようとする必要すらない。
本当に重要なことは、静かに語られる。
(誰かがあなたを急がせる時には、
 あなたを騙そうとしている可能性がある)

今日もこの世界で、濾過生物たちが静かに働いている。
彼らは何かを受け渡すだけの存在。中身はうつろだ。
しかし果たして、彼らの存在は空虚だろうか?

ミミズのいる畑は豊かだ。
彼らの存在が、微生物の多い栄養豊富な土壌であることを示している。
そしてミミズが通りすぎたあとの土は、
彼の消化器官の中でこなされ、空気を含んでふっくらとする。

濾過生物は、ただ物事を通過させる存在にすぎないかもしれない。
しかし彼らによって、
世界に何らかの豊かさがもたらされていることも確かだ。

自我を持たない、かりそめの存在でもいい。
世界を耕すミミズでいたい。
にょろにょろ。