「快楽にも苦痛にも支配されてはならない」
ゴータマ・シッダールタ

「さみしさ」と「不安」によって行動していることって、実は多いのではないか。
ならば、自分の「さみしさ」と「不安」を受け止めることができたら、
かなり心穏やかに過ごせると思う。

そんなことをするのは、さみしいからだ。
あなたも私も、さみしい身体。

メロディが次のメロディと呼びあうように、
ダンスが次のダンスと呼びあうように、
描かれた線が、次に描かれるべき線と呼びあう。

歌唱の感動的なところは、
人間がその身体を器具にして、自らの空洞を震わせている点。
身体が鳴っているところ。
まだうまく言えない。

「瞑想中、魔境に入ってしまったら、呼吸を辿って戻ってくる。
呼吸が時間を教えてくれる。すると身体に戻ってこれる」

共感/共振というのが、重要なモチーフなのは分かる。
何のためにかは、まだ分からない。
そして、関係には、媒介物(メディア/メディウム)が重要である、ということも分かる。

言葉遊びだけど、共/境/鏡が「きょう」という同じ音なのは面白い。
媒介物を挟んで、共振し、お互いを映す鏡のように向き合っている。
その時、あなたは、私だ。

無愛想でいる、冷たく当たる、ぞんざいにする、というのも、
甘えの変形なのかもしれない。
どんな反応があるか分からない他人には、できない。

日本人特有なのかもしれないけど
「甘え」が人間関係の通低音になっていることは多いと思う。
甘えを認識することは大事なんだけど、本当は「甘えてもいいよ」と言いたい。
「甘えていいよ」と言える人間になりたい。

「甘えてる」ってことは
「信じてる」ってことなのね。
それなら、もっとちゃんと伝えた方がいいかもね。

私は、あなたを知っている。
あなたが、私を知っててくれる。

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