技術には無限の段階があり、完璧な技術に人間は決して到達することができない。
そして”完璧な技術に到達しえない仕方が一人一人違う”。
道に窮まりなし。だからこそ人は独創的でありうる。
内田樹

完全な人間は存在しない。
ならば、私たちは皆、不完全な存在である。

どんなに富や名声を得ても、すべての人間は、愛すべき失敗のバリエーションである。
完璧な生き方というものは存在しない。
失敗する仕方は一人一人違う。
そして、私は、あなたの、失敗の仕方、そこにある意思が好きだ。

あなたが正しいから、一緒にいるわけじゃないよ

言葉(や他の何らか表現)で「100%対象を表現できる」と考えられている時には、
原寸大(縮尺1/1)の世界地図を作ることを想像してみる。
すると、不可能で無意味であることが分かる。http://bit.ly/HAt4Bh

完全に正確な地図は存在しない。
ならば、すべての地図は不完全である。

「表現されたもの」「語られたもの」は、
現実を加工した、失敗のバリエーションである。

それで何の問題もないし、
むしろ何かの表現を「完全だ」と思うことの方が問題。

コミュニケーションのキャッチボールは、
多少おかしなところに投げても、
相手が手を伸ばして取ってくれる、という信頼に基づく。

投げる方はフェイントかけて遊んでもいいけど
「届けたい」という想いが信頼を担保する。

うまく言えなくても、誤解が生まれても、
恐れずに踏み出せるのは信頼があるから。

むしろ、うまく言えない、誤解されるかもしれない、分かりにくい内容を
伝えようとする行為は「あなたは、受け止めてくれるよね」という信頼に基づいている。

誰にでも正確に伝わる記号化された情報なら、
あなたじゃなくてもいいし、私じゃなくてもいい(機械でいい)。

コミュニケーションでは
「正確にど真ん中に投げないと捕らない」などと
宣言されたキャッチボールは、成り立たない。

間違いを恐れず相手に向けて心を開くことがコミュニケーションなら
「間違えないこと」を至上にすえると、相手を信頼していないことになる。
それが相手に伝われば、信頼は枯れてしまう。

言葉を補い、誤解を解き、信頼を築くには「時間」が必要。
効率を優先し、人間を機械化することで、
人間関係が損なわれ、信頼が失われ、個人の「かけがえのなさ」が揺らぐ。

時間をかける手間を惜しむことが、死につながることもある。

「力を抜く」ことは、信頼がないとできない。
自分自身の身体、未来の自分の感覚、周囲の環境、一緒にいる人…。
力を抜くのは、難しい。
それは、心を開くことに似ている。

信頼は投資ではないので、
費用対効果や、リスクマネージメントの概念を持ち込むのは誤っている。
投げっぱなし。お互いに、投げっぱなし。ぶんぶーん。

ルールを新たに制定することで、またひとつ、信頼が失われる。

「ルールは他人が決めたものだから、守らなくていいこともある。
自分と誰かで決めた約束は、守る」という意味のことを言ってたのは、高田純次?
子育てには、ルールよりも、約束を。

分かってくれなくてもいいよ。
分かろうとしてくれたなら、伝わるよ。

https://twitter.com/#!/casiomasasi

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