自分が「固定されたくない」と思っている人は、本当は固定されたいのだ。
可能性を保留して時間を止めているはずの「金」は、交換され流動することで増殖していく。
つまり、本当はまったく固定なんてされていない。まったく逆だ。

僕の認識は間違っていた。しかしこれは大きな一歩になる気がする。

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流動するもの/変形するもの/転移するもの/増殖するものは
「違いを見つける能力」によって見出される。
これを持っていると商売で成功できる。

固定されたもの/形が決まったもの/相似形は
「同じだと見つける能力」によって見出される。
つまり、ダジャレを連発しはじめたら商売では成功できない。

商取引では「異なる領域での流通」が重要だから、
商売で成功するには、異なる領域をまたぐ存在である必要がある。

人件費や材料費などの「交換価値(固定されたもの)」と、
その生産物によって生み出されるものに対して支払われる「使用価値(増殖するもの)」の
両方に触れる必要がある。

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未来にはたくさんの可能性があって、
たくさんの枝分かれした道があるように見えるけれど、
振り返ったとき、道はひとつしかない。

辿った道は1本で、枝分かれしていない。
この道を通って、この場所へ辿りついた自分しか、あなたは知ることができない。
こうして偶然は必然となる。

“たしかに子供たちは「努力」するようにはなりました。
でも、それは学習努力じゃありません。
「最低の努力で最大の結果を出す」ための、
費用対効果のよい勉強の仕方をみつけるために知恵を絞った、ということです。

http://tmblr.co/ZVlpOyCLoR5l

“日本は世界三位の経済大国ですよ。
これだけの経済大国でありながら、世界に対してなんら強い指南力を発揮できないでいる。
国際社会で侮られている。それは事実です。
でも、それは日本に「金がない」からじゃありません。

http://tmblr.co/ZVlpOyCLoUoX

“教育というのは我々のこの共同体の次世代の
「フルメンバー」たりうる人を育成し、継続的に供給するためのものです。
政治イデオロギーとも、金儲けとも関係ない。それ以前の話なんです。

http://tmblr.co/ZVlpOyCLoaNb

結果論というものを、私は信じていない。
人間を守るために、オゾン層が出来たわけではない。
私が食べたものは、私に食べられるために、生まれてきたわけではない。
勝者が記す歴史は、勝者に都合良く書かれている。

私に分かるのは、私に分かることだけ。
言葉にできるのは、言葉にできることだけ。

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“実務の世界は、一言で言えば、分業の世界です。

http://tmblr.co/ZVlpOyCLq4eK

“一方「ENEOS高井戸」は、
自分たちをガソリンを入れるだけのガソリンスタンドとは思っていない。

http://tmblr.co/ZVlpOyCLqAnH

「金持ちの男と結婚したい」と言う女に
「男なしでも、金が好きなだけ手に入るなら、その方がいいの?」と聞いたら固まっていた。
その通りなのだとしたら「金持ちの男と結婚したい」のではなく「金が欲しい」だけなのだ。
ならば「金が欲しい」と言えばいい。

「現場に落ちているゴミを拾えるのは、全体が見えている者だけ」と書いていた人がいたなぁ。
全体を見るって難しいのね。

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人は「自分の価値観に沿わない現実」から無意識に目をそらし、
受け入れ易いものを選択的に受け入れる。
客観的な事実そのものを受け入れるのはつらいから。

となると、喜ばれるのは「感じたいように感じさせてくれるもの」。
多様な解釈が許される芸術が名作と言われる理由はたぶんこれだな。

ハンバーガーでもWEBサービスでも、
食べ方や使い方がガチガチに固められているサービスではなく、
構造がシンプルで、ユーザーが自由な解釈で利用できるものの方が、喜ばれるのではないかと思う。

「感じたいように感じさせてくれる」関係というのは、
Mの人がどうイジメて欲しいか把握しているSの人のように、
エロティックな幻想を生み出す。
客観的な現実の世界から逃れ、甘美な幻想の世界を共同で作り出す。
作用と反作用が対称形を描くように、鏡を通して向かい合っている、あなたは、私だ。

「他人に決めつけられたくない」という人は
「自分が思っているイメージと違うものとして決めつけられたくない」のであって、
本当は「こういう風に決めつけられたい」という
自己イメージを持っているのではないだろうか。
求めている通りにイジメるよう、実は、Mの人が、Sの人に対して君臨している。

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現実が思い通りにならないのではなく、
思い通りにならないものこそ、現実。

他者を見失い、膨張した自己イメージの幻想に耽溺し、
現実を見失う危険があるという意味では、恋愛結婚とは危険な選択なのかもしれない。
現実とは他者であり、結婚は現実に対処しなければならないとしたら、
お見合いとか、周囲の人間が結婚させるという方法には、危機回避の意味はあったかもしれない。

逆説的だけど、自分で選んでいない相手と結婚することで、
条件や細部ではなく、全体を愛することができる可能性もまた生まれるのかもしれない。
「自己責任」を重んじる価値観には受け入れられにくい発想だと思うけど。
ただ、「自分で選択した」ことによって、その選択から逃げられなくなる弊害もある。

結婚に限らず、仕事でも洋服でも容姿でも
「自分で選んだわけじゃない」ことによって、心が解放される場合はある。
全ての根拠を自己決定にすえると、自己が揺らぐと世界が揺らいでしまう。
自己決定でないなら、与えられた役をこなせばいい。
そして「与えられた役割を皆が果たす」ことで社会は機能する。

「私じゃなくてもいい」与えられた役割を、きちんとこなすというのは、
個性やオリジナリティを重視する価値観からは評価されないと思うけど、
倫理や社会基盤の維持、結婚で言うと家族や親戚の平穏にとっては意味がある。
恋に身を焦がすことと、家族が平穏に過ごせること、どちらが大事かという話。

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「私じゃなくてもいい」与えられた役割を、黙ってきちんとこなすことが、
大人の条件という気がする。
それは自己という個別の小さな存在よりも、
家族/社会/子ども達といった、全体性を優先できることだと思う。

“かけがえのない、あなた

http://tmblr.co/ZVlpOyCM3SRp

子ども時代に「かけがえのなさ」を受け取れなかった人は
「自分にしか埋められない空間」を求めて、さまよい続ける。
「自分に足りない」不在の存在によって、恋や仕事や研究に、取り憑かれる。
しかし、どんなに成功しても
「自分でなくてもいい」役割を果たすことを受け入れられない限り、大人にはなれない。

分かって欲しいのに、分かってたまるか、と思ってしまう。

私の語る言葉ではなく、語ろうとしていることだけが、
あなたに伝わればいいのに。

http://twitter.com/#!/casiomasasi

 

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