スキン+ボーンズ-1980年代以降の建築とファッション」を見てきた。
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1.共通の概念
 シェルター アイデンティティー
2.形態の生成
 幾何学、ヴォリュームの構築
3.構成の技法
4.両者の融合
といった流れで、著名な建築家・ファッションデザイナーの作品を
多数展示している意欲的な展覧会。
フセイン・チャラヤンて好きだな。


ところで、1.共通の概念のところでいきなり違和感を感じてしまった。
洋服も建築も、身を守る、あるいは自分自身を維持するための
物理的/文化的シェルターである、というところから
この展覧会はスタートするのだけれど、「そうかぁ?」という感じ。
考えてみれば温度や湿度など環境の変化から身を守る、という
機能がファッションと建築の第一義なのかもしれないけれど、
現代東京で都市生活を営む身としては、そういう「防御」としてよりも
「表現」としてのファッションや建築の方が想像力を掻き立てられる。


僕自身は、素直な建物が好きだし、着る服もごく平凡なもの。
だけれど、自由を表現するための想像力のエクササイズの場として、
身体・ダンス・ファッション・建築・空間というものを
ポジティブに捉えている自分に気づかされた。
表現している内容を表すのに、
「歪んだ身体イメージ」という言葉をずっと使ってきたけれど、
これはわりとネガティブなイメージであって、
傷つき、ダメージを受け、抑圧されたものと考えていた。
しかし僕が本来表現したいのはもっと別なものであって、
それを表すためにはちょっと角度を変える必要があるのかもしれない。
たぶんもっと素直に、「拡張された身体イメージ」という感じ。


ヒゲも、メガネも、化粧も、ハイヒールも、髪の毛も、体臭も、
服も、しぐさも、ダンスも、言葉も、歌も、ハーモニーも、
住み慣れた部屋も、通い慣れた道も、好きな場所も、亡くしたものも、
予感も、雰囲気も、記憶も、無意識も、まだ見ぬ自分自身も、
すべて自分という身体イメージを構成する要素だろう。
絶えず変化し、もとの自分にあらず・・・
また、当たり前のことを言ってるな。まぁいいや。
ちょっと、楽しいものを作りたい気分です。